書き手冥利

拙著が発売されて2週間。

本をきっかけに改めてゆっくりお話しする人や、数年ぶりに旧交を温める人たちとの時間が続いている。
過去を振り返るだけでなく、「これから」を話し、関わりを深める場になっているのが嬉しい。

自分の本が、人との出会いの場を作っているとしたらこんなに嬉しいことはない。

拙著を「ネタ」に、「肴」にして、繋がりが生まれるのは、書き手冥利に尽きる。人の役に立ったということだから。

時間がかかったけど、本を書けて、ほんとうによかった。

昨夜は、20年来の友人たちが出版を祝ってくれた。

その気持ちが泣けるほど嬉しいし、これから、ちょくちょく会って、それぞれのこと、これからのこと、ざっくばらんに話そうと、自然に決まったのが何より嬉しい。

タルコフスキー

友人たちにも勧められて、タルコフスキー監督の映画を見てきた。

遺作となった『サクリファイス』(1986年)。

正直、序盤は苦痛だった。
登場人物たちの哲学的な独白や会話が続き、映像は引きで、長回し。寝不足もあって、何度か居眠りをしてしまった。

だが、ヨーロッパに核ミサイルが投下されたという場面以降、徐々にその世界に惹き込まれていった。

見終わった後、不思議な感覚に包まれた。
喜怒哀楽という明確な感情ではない。
曖昧な、言葉にならない気持ちでいっぱいになった。
どこまでが現実で、どこからが幻想なのか。
映像と音の美しさとともに、その入り混じった物語世界に身を委ねていた。
映画館を出て、新宿の雑踏を歩いていても、浮遊感がしばらく続いた。

「語る」というより、「感じる」作品なのかもしれない。
こんな映画は初めてだった。

『男たちの旅路』

吉岡(鶴田浩二)「忘れなきゃ嘘だっていうのか。おまえら、その調子で何にでも高をくくってるだけだ。恋愛も友情も長続きすれば嘘だと思い、人のために尽くす人間は偽善者か馬鹿だと思う。金のために動いたと言えば、本当らしいと思い、正義のために動いたと思えば、裏に何かあると思うんだ。おまえら、そうやって人間の足を引っ張って、大人ぶってるだけだ。しかしな、人間はそんな簡単なもんじゃないぞ。俺がこうやって一人でいることは、おまえたちに言わせれば、『相手がなかった』とか、『面倒くさくなった』とかで片付けようとするだろう。しかし、そうじゃない。幸せな家庭なんか作りたくなかったんだ。死んだ奴に一人ぐらい義理立てて、独身でいる奴がいてもいいっていう気持ちだったんだ」

杉本(水谷豊)「戦後、30年経ってるんだからね」

吉岡「甘っちょろいって言うのは簡単だ。しかしなあ。甘いきれいごとでも、一生かけて押し通せば甘くなくなる。俺はそう思ってる。シラケて、訳知りぶるのは勝手だが、人間には、きれいごとを押し通す力があるっていうことを忘れるな」

山田太一・作、NHK土曜ドラマ男たちの旅路〜第1部第3話・猟銃』1976年)

生活の中に音楽がある、ということ

作業場のスタッフが、自身を戒めるように、過剰なまでに「皆さんに迷惑をかけてはいけないから」と言った。

「いや、迷惑なんか全くかけてないし、そもそも、みんな、迷惑かけ合いながら生きてるんじゃないですか!」と俺は返した。

脳内で、リクオさんの「パラダイス」のフレーズ、「迷惑かけてありがとう!タコ八郎」が鳴り響いていた。

*  *  *

その日の夜、ラジオから、リスナーのこんな言葉が紹介された。

「好きな曲がラジオから流れてくるなんて、なんて素敵なことでしょう!」

激しく、うなずいた。

「land of music それは君の心の中にあるはずさ」
        (HEATWAVE「PRAYER ON THE HILL)

親方と「再会」

昨年発売された『昭和を語る 鶴見俊輔座談』(晶文社)に、「親方」と思われる人物のことを語っているくだりがあった。


「わたしたちの仲間に、あのころ十二、三で、アメリカ兵に女性を世話したりなんかしていた人がいて、女性が来ると、こうやってピーと口笛を吹いて知らせてやるというような話をしていたけれども、いまは医者になってるが、そういう人はやはり、大学を十年ぐらい行ってますねえ。中学生ぐらいのときからずっとアルバイトをして、自立してますよ。なにか野放図なところがありますよ。自然にもう社会のなかからはみ出してるんだ。だから、こうなればこうなってという、エスカレーターの感覚がないんですよ。つまり、一階に行ったら九階まであがって食堂で飯を食うものだという感覚がないんですよ。そういう人は、はみ出した者の方が正常だ、という感覚をもっているでしょうね」
開高健との対談「焼け跡の記憶」より)

温度差と異世界

●8月4日(木)
ここ(作業場)では、「高江」や「原発」「改憲」「野党共闘」etc…といった言葉は、会話からはまず聞かれません。311後、そのことにずっと違和感と温度差を感じてきました。

でも、今夜はそれを嘆く気にはなりません。「こういう世界に生きていること」、そこから始めるしかないと思うのです。

作業場にあって、私は「変人」と思われています。作業中、ゆっくり話す時間がないせいもあって、私からはあえて、そうした話はしません。ただ、私の「変人性」を感じるのか、思わぬ言葉をかけられたことがありました。

一昨年、集団的自衛権の行使容認反対の声が高まった頃、「もしかして、官邸前の抗議に行ってきたんですか?」と、あるスタッフから聞かれたのです。不意なことで驚きました。「行ってきました」と応えると、「やっぱり行かなきゃですよね…」と返ってきました。

言葉に表さなくても、そこに居るだけでも何がしかのメッセージになるのではと思ったのです。

いや、これは正確ではありません。

私は、ささやかながら行動をしていました。我々臨時工の労働条件をめぐって、先輩たちと一緒に管理者側に改善を訴えたことがあったのです。そのことから、「異議申し立てをするヤツ」と認識されたのかもしれません。

もちろん言葉として伝え、ゆっくり話し合えれば一番いいでしょう。

しかし、それができない環境や条件でも、「変人」として振る舞い、そこに居続けるだけでも、何かしらの化学反応、化学変化が起きると思うのです。「社会派」などと時に揶揄や冷笑されて嫌になることもありますが、「そこに居続ける」ことの意味はある気がします。

「相手の考えを変える」などということは、できません。
できるのは、何がしかの方法で自分が考えていることを、伝えること。あとは、それを相手がどう受け取るか、です。

「変人」がいれば、その存在を通して、そこに何がしかの「問い」が生まれると思うのです。
「では、自分はどう考えるのか」、と。
それが大事だと思います

●8月6日
今夜は作業場の労働がいつも以上にキツかった。
肉体面だけでなく精神面で…。

「温度差」を通り越し、「異世界」に思えた。
そして、自分もまぎれもなく、今の状況を作ってしまった「加担者」の一人なのだとも…。

とはいえ、身の丈を超え、過度に自虐的、自己否定なのも無責任だろう。

自分が、日々でできることとは何か。

自分1人分の責任と役割を果たすということ。
できれば、いつもより1歩、2歩だけ、前に踏み出せるといい。

それ以上を強く望んだり、過度に自虐的になるのは危うい。
その矛先は他者へと反転する恐れもあるから。歴史を振り返れば思い当たる。

店を訪ねる

昨日は取材etcで、お茶屋さん、珈琲屋さん、おにぎり屋さんへ。奇しくも、飲食関係のお店に続けて、訪ねた日だった。

「はじめまして」から、「ご無沙汰してて、すみません」まで。
それぞれに素晴らしい、ひとときだった。

世代は異なれど、志を持って、暖簾を掲げた人たち。ローカルに根を張って、良品を作り、商いを営む人たちである。

再訪したお店は、当時取材して書いた記事を今もファイルに綴じ、保存してくださっていた。

また、この日、少し前に取材させてもらった本屋さんからも、記事が掲載された雑誌が届きましたと、御礼のメールをいただいた。

拙文が少しでもお役に立っているのなら、ありがたい。