仰げば尊し

週末から断続的に書いていた原稿を、ようやく脱稿する。
ささやかだけど、読者に「ボーナストラック」を付けようと心がけて、書いた。

低迷気味だった気分が、少し上向く。
我ながら、単純なヤツだと思う。

いくらか、気持ちが解放されたせいだろうか。
銭湯からの帰り道、ふと、「師」のことを思い出した。
この世界に入るきっかけをつくってくれた人。右も左もわからない若造を、時に激しく怒鳴りながら、でも、絶えずあたたかい目で見守り、育ててくれた人。「師」というより、「父親」のような存在だった。

亡くなって10年近く経つけれど、今もときどき、思い出す。

今日、頭に浮かんだのは、常連のスナックに連れていってもらって、カラオケを歌った時のこと。当時ヒットしていた「それが大事」を僕が歌ったら、「最近の若い人の間では、ずいぶん道徳的な唄が流行ってるんだなあ」というようなことを、彼は言った。歌詞が優等生的で、退屈だというのだ。反骨的で、でも、地に足が着いてない物言いを嫌う、その人らしい感想だと今にして思う。

数珠つなぎで、思い出がよみがえる。

これとは、別の日だったろう。
仕事の後に社員みんなで(といっても計3〜4人)一杯引っかけて、2軒目だか3軒目の店で、僕はブルーハーツの「リンダリンダ」を歌った。ヒロトの真似をして、ジャンプし、床に転がりながら、叫んだ。すると、彼はとても喜んでくれた。
「いやー、大した芸、持ってるじゃないか!」
歌もパフォーマンスも、もちろん、うまかったわけじゃない。今よりも、ずっとスリムだったけど、ヒロトのようにできるわけがない(笑)。
弾けまくった姿を俺に見せてくれて、ありがとう。そういった気持ちから、賛辞をくれた気がする。

そのとき、僕はうれしかった。今、振りかえっても、そのうれしさは変わらない。

彼も、酒の席ではよく歌った。
見た目からは想像もつかない、高く、か細い声で、美空ひばりなどを朗々と歌い上げた。

何かの本の出版をお祝いする飲み会のときだった。割烹の座敷を借りて、20人ほどが集まった。さて、そろそろお開きにしようか。そんな頃合いを見計らって、彼が突然、立ち上がった。
「今から、Tさんの葬式の時に歌うつもりだった曲を歌います!」
目の前にいるTさんは、一瞬、驚いた様子だった。だが、瞳を大きく見開き、これは愉快だと笑い出した。一回り年長の兄が、「しょうがないやつだ」と弟を見守るような、そんな心境だったかもしれない。

直立不動で、背をまっすぐに伸ばし、目をつむって、彼は歌い始めた。
仰げば尊し」だった。

Tさんへの恩義が、歌詞の一言一句に、メロディーの一音一音に、託されていた気がする。

このときの唄は、忘れられない。
仰げば尊し」を歌った師のことは、今もずっと自分の中にある。