海辺の小さな町へ

○日曜日。
海辺の町へ取材。老舗の個人商店を2年ぶりに訪ねる。

おじいさんから孫、近所の方も来て、昼食と夕食をいただく。大家族に囲まれての、心和むひととき。みなさんから、指折り数え切れないほどの、たくさんの心遣いをいただく。身に余った。ひとつひとつが身に染みた。

「利益優先ではなく、人情を大事にする」
古き良き商いの心が、このご家族には受け継がれている。
20代のお孫さんの座右の銘が、「勤勉・正直・感謝」というのだから。

秋晴れの昼下がり。海辺を案内してもらった。
「海からの贈り物なんだよ、これは」
海岸には、さまざまな貝殻などが落ちていた。
その中で、貴重な一品をいただく。

ちょうど秋祭りの日。地元の神社は、大勢の人でにぎわっていた。
夕暮れどきに、お祭りを見せてもらう。
「おっ、久しぶり!」「元気?」
若い人も、年配の人も、旧友と再会し、喜び合う場面が何度も見られた。
祭りがあるから郷里に帰る。
いいものだと思う。

長い時間、電車に揺られ、深夜帰宅。
すると、海辺を案内して下さった方から、また、会いましょうとメールが届いていた。

「故郷に帰るつもりでゆっくり遊びにお出掛け下さい」

あたたかい言葉をいただき、「ありがとうございます」を繰り返した。

持続する精神

○土曜日。
今年で、数え年90になる報道カメラマンの講演会&写真展に行く。
「遺言」と題されたように、氏の思いの丈を聴く場であった。

先の戦争、従軍体験が自身の原点というだけに、その後の知見も交えての戦争の話が多くを占めた。憲法「改正」への危惧も聞かれた。

広島の、ある被爆者を20年以上、撮影し続けた写真とエピソードには、胸が詰まった。

そして、今も現役の報道カメラマンとして、時折、現場に立つ氏の姿に、感動した。

「『終戦』と言う人とは、僕は口を利かんようにしています(笑)。あの戦争は、負けた戦争です。『敗戦』なんです。『終戦』とは、戦争責任をあいまいにしようと考えた言葉なんです」

話の中に、氏のユーモアが時折、かいま見えた。
そこに、持続する精神を思う。

一緒にダンスを踊るように

昨夜ラジオを聴いていたら、元NHKアナウンサーの山根基世さんが出ていた。

20世紀の世界を描いたテレビドキュメンタリー「映像の世紀」のナレーションをはじめ、山根さんの語りは、抑制的で、凛としていて、とても好きなのだが、彼女はまた、インタビューの名手でもある。

山根さんが昨日語っていたインタビュー論。

「インタビューに臨む前には、可能な限り相手のことを調べていく。しかし、いざ、インタビューの時間になったら、下調べしたことから、いかに自由になるかが大事」

「相手から話を引き出そうとしてはいけない。インタビューをしている「今その時」という時間、「共に生きている」ととらえ、向き合いたい。それは、相手に寄り添うことだ。相手の人が「空に昇りたい」といえば、一緒についていく。一緒にダンスを踊るような気持ちで」

先達の言葉に、思い当たることは、いくつもあった。
「一緒にダンスを踊るように」
そんなインタビューを、心がけたい。

仰げば尊し

週末から断続的に書いていた原稿を、ようやく脱稿する。
ささやかだけど、読者に「ボーナストラック」を付けようと心がけて、書いた。

低迷気味だった気分が、少し上向く。
我ながら、単純なヤツだと思う。

いくらか、気持ちが解放されたせいだろうか。
銭湯からの帰り道、ふと、「師」のことを思い出した。
この世界に入るきっかけをつくってくれた人。右も左もわからない若造を、時に激しく怒鳴りながら、でも、絶えずあたたかい目で見守り、育ててくれた人。「師」というより、「父親」のような存在だった。

亡くなって10年近く経つけれど、今もときどき、思い出す。

今日、頭に浮かんだのは、常連のスナックに連れていってもらって、カラオケを歌った時のこと。当時ヒットしていた「それが大事」を僕が歌ったら、「最近の若い人の間では、ずいぶん道徳的な唄が流行ってるんだなあ」というようなことを、彼は言った。歌詞が優等生的で、退屈だというのだ。反骨的で、でも、地に足が着いてない物言いを嫌う、その人らしい感想だと今にして思う。

数珠つなぎで、思い出がよみがえる。

これとは、別の日だったろう。
仕事の後に社員みんなで(といっても計3〜4人)一杯引っかけて、2軒目だか3軒目の店で、僕はブルーハーツの「リンダリンダ」を歌った。ヒロトの真似をして、ジャンプし、床に転がりながら、叫んだ。すると、彼はとても喜んでくれた。
「いやー、大した芸、持ってるじゃないか!」
歌もパフォーマンスも、もちろん、うまかったわけじゃない。今よりも、ずっとスリムだったけど、ヒロトのようにできるわけがない(笑)。
弾けまくった姿を俺に見せてくれて、ありがとう。そういった気持ちから、賛辞をくれた気がする。

そのとき、僕はうれしかった。今、振りかえっても、そのうれしさは変わらない。

彼も、酒の席ではよく歌った。
見た目からは想像もつかない、高く、か細い声で、美空ひばりなどを朗々と歌い上げた。

何かの本の出版をお祝いする飲み会のときだった。割烹の座敷を借りて、20人ほどが集まった。さて、そろそろお開きにしようか。そんな頃合いを見計らって、彼が突然、立ち上がった。
「今から、Tさんの葬式の時に歌うつもりだった曲を歌います!」
目の前にいるTさんは、一瞬、驚いた様子だった。だが、瞳を大きく見開き、これは愉快だと笑い出した。一回り年長の兄が、「しょうがないやつだ」と弟を見守るような、そんな心境だったかもしれない。

直立不動で、背をまっすぐに伸ばし、目をつむって、彼は歌い始めた。
仰げば尊し」だった。

Tさんへの恩義が、歌詞の一言一句に、メロディーの一音一音に、託されていた気がする。

このときの唄は、忘れられない。
仰げば尊し」を歌った師のことは、今もずっと自分の中にある。

出航

「急ぎすぎてはいけない。道は、ずっと同じ速さで歩いた方がいい。長い道のりなんだ。暴食には味がなく、早歩きは長続きしない、と言うぞ」(ポン・ヂェンミン『山の郵便配達集英社、2001年)

過日、たまたま古本屋で見つけて読んだ中国の現代小説の一節である。

主人公は「山の郵便配達」の老父。山を登り、川を渡り、数日かけて、彼は、村の人々に郵便を配達する。手紙や葉書、荷物を待つ一人ひとりの顔を思い浮かべながらの、まさに「手渡し」の仕事である。

だが、彼も老いには勝てない。ある日、引退を迎える。そして、後を継ぐ息子に、上記の言葉を託す。

持続することも、ひとつの才能だと思う。
続けるには、幾多の壁を、乗り越え、立ち向かい、やり過ごす知恵と意志と技術が必要なのだから。

……ということで、気ままな備忘録、独り言帖の始まりです。
今日から、ぼちぼちと漕いでいきます。